昨日ネット上で「タダでも中国には行きません 深刻な学生の中国離れ」(JBpress配信)という記事を読みました。
記事の内容は、日中大学生交流事業を担当する大学の先生が、(中国行きを希望する)日本人学生が思うように集まらずに苦労し、日本人学生の中国への関心がものすごく低いことにショックを受けたとのこと。その理由として、政治的問題や衛生面などの理由があることなどが記されています。
次に、記事ではパスポートの取得数の増加と「20~29 才」が全体の20.9%を占めることから、必ずしも「若者の内向き志向」とはいえないこと、ただ、中国行きとなると…というお話。そして、最後に「実際に日本を訪れて日本の理解が進む中国人」と「中国についてウェブ上の情報しか持たない日本人」と情報格差が出来ていることを指摘していました。
まず、タイトルに「タダでも中国には行きません」とつけるのは、ある一人の学生の話として記事中に出てくるものを誇張しており、衆目の関心を集めるために無理やりつけたものであり、どうかと思いました。もちろんマスコミ・メディアの論理としては、注目を集め、記事をもらい読んでもらうことが重要なのでしょうが。
私がこの記事に関連して言いたいのは、次の二点です。
在日日本人の皆様へ①
例えば、大気汚染やデモなど、実際に現地で自分の眼で見たことありますか?また中国・中国人に対する情報はどこから得ていますか?
おそらくほとんどの人が、自分の眼で見たことはなく、マスメディアから得た情報で「中国は…」・「中国人は…」というステレオタイプ、かつネガティブなイメージを抱いていると思います。マスコミは事実の一部しか伝えません(一部しか伝えることが出来ません)。そして事実を伝える際に、編集・加工を行いますので、情報を意図的に操作することも出来ます(或は無意識に操作してます)。私はマスコミ批判をしたいのではなく、報道されていることって「本当なのか?」と思ってもらいたいのです。更に言えば、実際自分の眼で確かめてみようという気持ちを少しでも持ってもらえればと思うのです。
もし日常的に大気汚染がひどかったり、はんにち感情が渦巻いているのなら、現在13万人もの日本人が中国に住むことはないでしょう。最近、上海では大気汚染で空が霞むことはほとんどありません(気温の低下で空気の滞留起こる秋から冬は大気汚染が発生する傾向があります。)また、街中ではファミリーマートがあちこちにあったり、5月の連休に合わせてジャパンフェアが開催されたり、セーラー服を着た若い女性をよくみかけます(日本の制服に対するオマージュ)。
在日日本人の皆様へ②
お気づきかと思いますが、多くの人がマスコミの報道に流されてますよ。
ネガティブな情報ばかり流れると、自然とそのようなイメージを持つものだと思います。特に大した関心のない事柄なら尚更です。日本に一次帰国するたびに、マスメディア・書籍・知り合いや友人などの情報を総合すると、中国・中国人に対するイメージは、やはりまぁ相当にネガティブなものみたいです。それはそれで構わないのですが、本音を言いますと、こちらの人々の方がマスコミ報道について冷静にみています(それは過去の複雑怪奇な歴史的経緯と関係しています)。
物事には少なくとも両面性があるわけで、ネガティブなこともあれば、ポジティブなこともあるわけで、例えば上海なら料理が美味しいとか、外灘の夜景がきれいだとか、ディズニーランドがあるとか…そういう面にも少しは感心を向けてもらえればと思う次第です。
最後に、「深刻な学生の中国離れ」とは反対のお話を紹介します。最近、中国について研究されている知り合いの先生が、ゼミ生を連れて上海に来られることが多くなりました。学生達はもともと中国語や中国の歴史文化に興味を持っている人が多いわけですが、十数人いるゼミ生が全員参加(強制ではなく…)で、私が現地のインチキガイドとしてアテンドするのですが、「料理ウマッ!」とか「ディズニーランド楽しかった!」とか「また来たい!」など、とても楽しんでいました。
また、別の先生は40人余りの学生を引率されており、「なんでそんなに学生が多いんですか?」と尋ねると、「リピーターが多いから、どうしも人数が増えてしまう」と言われていました。どうやら語学研修として毎年訪中するプログラムがあり、例えば1年生で参加し、また中国に行きたいと思う学生は翌年も申し込みが可能なようなのです。つまり、一度来るとハマってしまう可能性大、リピーター率が高い、ということのようです。
また、学生間の交流ということで言えば、まずは日本にいる中国の留学生の方と交流をして、お互い同じ悩み(将来のこと・学業のこと・恋愛のこと)を共有していることが分かれば、徐々に打ち解けていくのではいでしょうか。そういう一人一人の交流から、徐々につながりが生れてくる時代になったのではないかと思います。偉い人々が登場して「友好」を唱える時代は過ぎ去ったのです。両国の新たな“つながり”を模索していく必要があるようです。