もし留学というものが、特定の国の特定の大学で、特定の言語や学問を学ぶものならば、「留学とは○○だ」と言い切ることが出来るかもしれません(それでも個人の感想は異なり、適応面でも差異があるはずです)。
しかしながら、留学とは、例えば絵具で特定の物について絵を描いてくださいと言われ、その出来上がった作品が(特定の物について描いたにしても)個々の作品がオリジナルであるように、留学するという行為は同じにしても、その経験は唯一無二のものであると思います。
ということで私のたいしたことにない浅い留学経験から、留学についてまず思うことは、、、
留学に失敗はない、ということです。その理由は、
①日本を離れて異国の地で学び、現地の人々と接することで、自分がこれまで生活してきた環境と異なるシチュエーションに身を置けること、そして、自己の生活習慣や生活観念を相対的にみることが出来るようになる点(つまり、習慣や価値観は特定の社会で創られたもので、必ずしも他の国・地域・社会では通用するとは限らないことが分かる)
②現地の人や他国の留学生との交流をとおして、彼らからみた“日本”・“日本人”について知ることが出来る。そして、自分自身も、異国の地から“日本”・“日本人”をみる視点がそなわる(“外”からみた日本・日本人)。
①と②については、今後より具体的に書いていきたいと思いますが、①・②をとおして、“第三の眼”というものが自分のなかに出来上がってくると思います。この“第三の眼”というのは、自分自身が現地の人や他国の留学生からどうみられているのか、日本は他国の人々からどのようにみられているのかなど、自分自身や祖国をより客観的に捉える視点のことを意味します。ここから、個人と国家との関係や、自分自身の立ち位置や今後の将来についても考えることになると思います。
もちろん環境に慣れずに体調を崩したり、あるいは実家の都合などでやむを得ず帰国していった方々もみてきました。途中帰国が留学の“失敗”を意味するのかは分かりませんが、一定期間異国の地に身を置くことは、得難い経験ですし、もし慣れなかったとしても、それはまた別の道を探すきっかけにもなるはずです。
そして、留学に関連して言うなら、百闻不如一见(百聞は一見に如かず)、つまりまずは自分の眼で見て、頭で考えて、心で感じることが重要なのではないかと思います。自己の視点というのは主観的ですが、少なくとも自分の眼で見ることによって、自分自身で判断して考えることになります。その積み重ねが自分自身の貴重な経験となっていくと思います。
長々と書いてきましたが、これから留学しようとする方が何かの間違いでこの文章を読んでしまったことを想定して、私の背中を押してくれた母校の職員の方の言葉を贈りたいと思います。
「(留学を)大きな一歩と考えなくていいんだよ。ほんの半歩、前へ踏み出すぐらいの気持で考えてみたら?」
この言葉を頂いて、もう数年経ちますが、今でも時折思い出します。とても感謝しています。ただ、現地の生活に慣れ過ぎたのか、帰るタイミングを逃しました…言葉を変えて言うなら、現地でこれからも生活していきたいと考えるようになりました。
次回は「極私的留学論②留学向きの性格?内向き人間ですが、何か?」です。